三河路の名所 八丁味噌の郷を訪ね、昔ながらの味噌蔵を見学

今川義元の家臣であった早川新六郎勝久は、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、 岡崎の寺へと逃れ、武士をやめ、名を久右衛門(きゅうえもん)と改めました。久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八帖町(旧八丁村)へと移り1645年に業として八丁味噌を造りはじめました。